2016.10.3
京都Len。
今年5月に行った東京蔵前のNui.でのライブの京都版。People In The Boxの波多野裕文さんとのツーマン。
お互いのソロを演奏して、最期に一緒に演奏した。
事前に何か一緒に演奏しましょうということだけ決まっていて(というかタイムテーブルにセッション枠があった)、何をやろうかと考えていたのだけれど思いつかなかった。誰かと一緒にライブをすると必ずといっていいほどセッションタイムが設けてあり、お互いの知っている曲を出し合って一緒に歌ったりする。ことが多い。のだけれど決してセッションしなければいけないという必然性はない。ことが多い。セッションはほとんどの場合、最後の最後にやるもので、予定調和な当たり障りのない選曲・演奏に着地することが多い。それはシンガーソングライターのライブに限らず、インプロのライブでも同じことがいえる。
前回のNui.ではお互いのフェイバリットであるジェフバックリーとエリザベスフレイザーのデュエット曲をカバーした。今回は何も決めずに演奏できればいいなと思って、「叫びをセッションしたい」というようなよくわからないメールを波多野くんに送った。
何も決めずにステージに立ったところで、きっと出てくる音楽があると思ったから。
結局、波多野くんとのやり取りは「叫び」以上には発展することもなく当日を迎えた。
思いつきで歌ってみることは、曲作りの第一歩だと思う。それは普段、人前で披露するものではない。形になってからしか、それらは聴かれることはない。ステージでいきなりそれをやってみた。その時お客さんの中に、「ノープラン!インプロビゼーション!」と言ってた人がいたらしい。確かに。
即興演奏というほど音楽的かどうかわからないけれど確かにノープランだった。ピープルの「八月」という曲に途中から持って行ったのだけれど、それも事前にやりましょうということも伝えていなかったし(自分の持ち時間に歌おうかと思って練習していたけれどそもそも波多野くんとはキーが違っていた)どうなるかわからなかった。
思いつきでつけたコーラスが思いのほか綺麗にハマったりしてとても気持ち良かった。弾き語りでノープランでセッションというのは、きっと誰でもができるものではないし、別にそれができるミュージシャンこそ優れているかというとそうでもない。
ただ、作り込んだものだけが決して美しいものではないということを知っているかどうかの違いは大きなことだと思う。
美しい時間、ハッとする瞬間というのはおそらく一瞬のまばたきにも似ていて、それを「八月」に感じた人もいるだろうし、僕のように叫びの部分で二人の声だけが鳴っている一瞬に感じる人もいる。作り込んだ楽曲の演奏が一分のミステイクもなく遂行されることに感じるカタルシスも生演奏の楽しみのひとつではあるけれど、例えば夕方の空の色が言葉を失うほど綺麗だったとか、そんなシンプルな喜びがあるのも音楽の良さだといえるわけで、なんだか相手によっては色んなリスクを伴うであろう「叫び」セッションにいくばくかの可能性を感じた良い夜でした。波多野くんの懐の広さたるや。
嬉しさに、痛飲してしまい各位に迷惑をおかけしてしまった夜でもありました。。。
波多野くんのソロアルバムを拝聴しました。
音がとてもクリアで綺麗だった。
透明すぎてそこにガラスがあるのを忘れてしまう瞬間の眩暈というか、まっとうなんだけどある意味そのまっとうさを維持していることが特殊に感じるというか。冷たいけれど熱い炎。何か相反するものが寄り添う美しさみたいなものを感じた。
僕はU2というバンドの『ZOOROPA』というアルバムが一番好きで、ただこの作品はU2のキャリアの中では地味で駄作とされている。人がなんと言おうがこれは名作で静かに青い炎が燃えている、クールな熱を感じるアルバムです。
U2の魅力は野暮ったくて地味なところだと思うのだけれど。
『ZOOROPA』に収録されている「Stay, (Faraway, So Close!)」なんて超名曲で、聴くたびにじわじわこみあげる。詞もたまらない。
それと同じひんやりとしていて尚且つ知らないうちに火傷してしまっているような感触を『僕が毎日を過ごした場所』に感じました。矛盾や混乱を孕みながら最後に賛美歌のような大きな福音が訪れるこの作品を未聴の方はぜひ死ぬまでに聴いて欲しいです。