1/28-3/11
1/28
某レコーディング。リリースが楽しみ。吹雪いてた。もうすぐ告知が始まります。
1/30
バンドでスタジオ。スタジオスー。歌いだした頃、よく個人で使っていた。スタジオの人も変わらず。隣の部屋に友人が練習で入っていた。
2/2
バンドでスタジオ。隣の部屋にまた同じ友人が練習で入っていた。反対の隣部屋から大勢の男女の金切り声。バンドはやはり楽しそうだ。
2/11
京都クラブメトロでライブ。旧い友人が企画のイベントでバンドでライブ。楽しかった。上のエトワでまったりしてしまった。10年以上前、エトワの店長と絵描きの友人と三人でエトワで音を出して遊んだことがある。エトワに来るのはそれ以来かもしれない。みんなそれぞれ、それぞれのことを今もしている。
2/13
京都ガケ書房でライブ。バイバイガケ書房ハローホホホ座。店長の山下さんに感傷的な部分はなく、いつもと同じく飄々としていた。本当は色んな思いがあったはずだけれど。全てのライブ終了後、マイクでいつも通りのドライさで挨拶をする山下さんに、客席から「泣けやー!!」と怒声が飛んでいた。僕は夜以降にしか行けなかったけれど、店内にはたくさんの人。みんな、なんとなく顔くらいはだいたい知っている、みたいな例えばガケ書房をきっかけにゆるく繋がる地域社会。
3/10
東京で弾き語りレッスン二件。朝に京都を出発して、それぞれの生徒さんとの場所へ移動し夜は友人宅へ。移動距離が半端なかった。
3/11
お昼に一件弾き語りレッスン。その後は東高円寺UFOクラブでライブ。震災から4年。
京都にいると震災のことは未だに他人事に近い。当日はたまたま東京の友人に電話したら通じず、おかしいなと思ってTwitterをみたら震災のことがわかってテレビをつけた。繰り返される震災の映像。我が家のテレビはその数ヶ月後には押し入れに片付けてしまった。
京都、特に今自分が住んでいる左京区は震災がきっかけで移住したという人によく出会う。環境に対する意識というのは敏感かどうかではなくシンプルに考え方の違いによるものだと思う。食品の安全性については世代によっても個々人によっても考え方が全然違う。そして子育て世代にとって特にというか、誰にとってもだけれどこれからどこでどうやって生きるかという大きな問いに向き合わざるを得なくなってしまった。震災を大きなきっかけとして、より目に見えないものと戦わなければならないムードになった。戦うとはいえど勝敗というわかりやすい形での結果も出ない。
何か、ひとそれぞれできる範囲で残せるものを残すくらいしか、未来のためにできることはないと思う。作品だったり、生き方だったり、まちづくりだったり、色んな分野で色んなものが受け継がれていくだろうけれど自分ができることをするしかない。目の届く範囲で。
将来、生き方の多様性を今よりも許容できるような社会になっていたらいいなと思う。
関東や東北へライブで行った時に出逢った人たちの顔が、震災の映像をテレビで見た時即座に頭に浮かんだ。そんなきっかけでしか想像力が働かない。
UFOクラブでのライブは、京都でのんびり震災とその後を過ごした僕より、関東でそれぞれの震災を経験したお客さんの方がずっとずっと多くのことを考えていたと思う。
英子さん、ナスノさんと5曲ご一緒しました。英子さんの曲でコーラスをしたのがとても気持ちよかった。またやってみたい。