ペック
昔、大阪の天満駅近くにDICEという小さなライブハウスがあった。数日前に同じく大阪のバナナホールという大きなライブハウスで、関西の情報誌エルマガジンという雑誌の企画だったか、ミュージシャン新人発掘みたいなショーケースイベントにたまたま送ったデモテープで引っかかってライブをした。当時僕は京都のとある百貨店の美術館でアルバイトをしていた。まだ人生3回目くらいのライブだった。他には、プラッチック、ゴリラアタック、ラリーパパ&カーネギーママ、あと二組くらい出演したように思うけどもう覚えていない。オルタナティヴロックからメロコア、弾き語り、ミクスチャーまでジャンルは多岐に渡った。同じイベントに参加していたプラッチックの川本くんに声をかけられ、普段よくライブしているというDICEというお店でのライブに誘われた。プラッチックのデモテープを貰ったがAB面に収録された4曲とも最高だった。「天気雨」「宇宙」「完璧な言葉」「鳥ならば」だったと思う。バナナホールでのライブの数日後にDICEでのプラッチックのライブを観に行った。そこでのプラッチックのライブは素晴らしく、自分もお店の人に誘われてライブをすることになった。
何度かDICEでライブをするうちに、そこを拠点に活動していたpeckこと飯田くんに出会った。一言でいうととてもエキセントリックな人で、昨日会って今日会ったらいきなり前髪が全くないようなヘアスタイルをしている、みたいな人だった。4曲入りのデモCDRを最初に貰って、よく聴いた。あまり沢山喋らなかったが、どうやらDICEでずっとレコーディングしているようだった。僕のことをどう思っていたかわからないが、自身の音源を渡すくらいには音楽的に評価してくれていたのかもしれない。僕は少しだけDICEでアルバイトしていたことがある。年越しのとき、「カウントダウンのレイブ行ってくるし」といって東京に小さなキャリーをカラカラ引いていく姿が印象的だった。過去にはバンド編成でもライブをしていたが現在はソロで演奏しているとのことだった。ソロでといってもアコギの弾き語りにも関わらずギターアンプJCを2台使ってLRに振り分けたりしていわゆるギター弾き語りみたいな範疇にいる人では全くなかった。
彼のアルバム「森の舞台」と、DICEに出演するアコースティック系のミュージシャンを集めたオムニバスCDがリリースされたのは同じ年だ。どちらが先でどちらが後だったかは覚えていない。「森の舞台」がマスタリング終わったというので飯田くんにCDRを貰った。内容は凄まじいポップなオルタナティヴロックといったもので、今思い出すにも当時この音源をほぼ独りで作り上げたことは感嘆に値する。今でもしょっちゅうiTunesに入れた「森の舞台」を聴いている。その後DICEでツーマンライブをした記憶があるが、蜜に色々と話した覚えがない。お互いの音楽以外にあまり興味がなかったのかもしれない。作品(ライブ)を聴けばわかる、といった気持ちもあっただろう。
その後僕は他のライブハウスにも頻繁に出演するようになり、あまりDICEには出なくなった。それと同時に飯田くんとも会う機会が減り、ライブを観たりということもなくなっていった。変わらず『森の舞台』は愛聴しつつも、進行形で彼が鳴らす音楽には触れていなかった。
2008年に飯田くんからライブイベントを企画するというので突然連絡があった。大阪の雲州堂というお店で、出演者がたくさんの賑やかなイベントだった。僕は久しぶりにそこで飯田くんと再開した。久しぶりの彼はスキンヘッドにリクルートスーツみたいなファッションで、ステージでは胡座をかき何か手元で小さな機材をいじりながらそれに合わせて歌っていた。イベントの前に飯田くんから郵便が来た。自作のCDとレコード。レコードのケースは確か自分でペイントしたであろう色というか絵というかが塗られカオスな状態になっていた。CDのケースも銀河鉄道999のシールが貼られ、曲も弾き語りからテクノ、リーディングまで収録されておりこちらもカオスな状態だった。『森の舞台』を愛聴していた僕は新たに送られてきた音源を聴いてその散らかり放題の部屋を見せられたような感覚に目眩がした。もう『森の舞台』みたいな音楽には興味がないのだなと思った。あまりに『森の舞台』が好きだった僕は残念な気持ちにもなったが、何曲かはやはりカッコよすぎる曲もありそこだけ繰り返し聴いた。
雲州堂のライブの内容はよく覚えていない。後日、出演料代わりにテレホンカードとギターピックが送られてきた。これも、飯田くんらしいなと思った。
2015年1月15日、0時頃に川本くんからメールがあり飯田くんが亡くなったことを知らされた。もう飯田くんと話すことはできないし、実際あまり話したことも沢山はなかった。
雲州堂で数年ぶりに会った時に、彼はかつてメジャーのレコード会社の人と東京で会って食事をした際に飲み過ぎてグダグダになって話がダメになったみたいなことを明るく話した。その後も僕はmixiの日記で彼のどうしようもない日記を読みながらいつも気になっていた。バイトの面接に落ちた話や、やっと採用されたバイトに遅刻したり、もやもやした気持ちや毎日を綴った文章を読むたびに『森の舞台』の素晴らしさを眩しく感じた。フィッシュマンズにもトモフスキーにもキセルにもなれなかった。本当に不器用とはこういう人のことを言うのだろう。『森の舞台』は好きすぎて、こないだKUDANZの玄くんにも送った。それくらい現在進行形で愛聴している。
ふわふわと、いつもドラえもんみたいに床から少しだけ足が浮いているような人だった。
ロックと、ポップと、オルタナと、サイケと、ローファイが絶妙なバランスで輝く『森の舞台』。森の舞台とは、彼が住んでいた大阪府吹田市の万博記念公園の中にあるものだと思う。僕は行ったことがないし行く予定もない。
ご冥福をお祈りします。